6月1日「子ども日」の忘れられない記憶

6月に入りましたね。

日本では5月5日が子どもの日で、国民の祝日ですが、「国際子どもの日」(英;international Children’s Day)は別で、6月1日です。1925年(大正14年)、スイスのジュネーブで開かれた、子供の福祉世界会議で制定されたのだそうです。

モンゴルでは「国際子どもの日」と同じく6月1日を子どもの日としており、子どもを遊びに連れて行ったり、おもちゃやお菓子をあげたりと、子どもが喜ぶことをする習慣があります。

子どもを喜ばせるために大人がしてあげることのひとつに、「サーカスを観に連れて行く」ということがありました。

サーカス関係者側から言えば「サーカス公演を開催する」です。

はい、モンゴルでは、毎年6月1日に、子どものためのサーカス公演が開催されていました。

ただ、定期的に行われていたのは2006年まで。

2007年のはじめに、国営だったサーカス劇場やサーカス学校が民営化してからはやったりやらなかったりです…。昨年からはコロナ禍により、まったく行われていないのはいわずもがなです。サーカス専用だったはずの劇場は、取り壊されました。

そんな、モンゴル国内のサーカスの暗雲たる状況を予想してか、私が修行させてもらっていたサーカス教室の先生方は、「子ども日にはサーカス公演を開催しなければならない。だってサーカスは、子どものためのものだから」と公演を行ったのでした。

カッコ良くないすか?

で、実際に中国からサーカス用テントを購入しまして、いつのまにか建てているではありませんか!

カッコイイっす…最高にしびれました…T0T

“モンゴル・ニュー・サーカス・センター”は2007年5月末~6月1日まで、首都ウランバートルの中央広場、チンギスハーン広場にテントを建て、サーカス公演を行いました。
コントーション+フラフープ。画質が粗くて見にくいですね…すみません。
フラフープの演技。出演者は、オトゴー先生の生徒たちと、ロシア・中国から呼んだアーティストら。とにかく生徒たちが駆り出され、私もちょろっと出演したのでした。
ゾウも呼んだよ!スタッフに扮した生徒たちに大人気でした。
ひとりでかいのが、私。オトゴー先生の生徒たちと一緒に。

3日間ほど行われた公演は、どの回も超満員!連日、たくさんの子どもたちが押し寄せました。

目の前で繰り広げられる様々な芸に目を輝かせ、「おー!」「わぁー!」と歓声をあげていました。子どもが全身全霊で「喜」のエネルギーを発動すると、場の空気の変化がすごいことになります。膨張して、テントがふくらんではちきれてしまうんじゃないのか?と心配になってしまうくらい。クラウン(道化師)が出てくると笑い声が響きました。

ここまででも十分に感動的なのですが、この日が私にとって忘れられない日になったのは、団長のある行動でした。

この頃、ストリートチルドレンやマンホールチルドレンと呼ばれる、路上生活している幼い子どもたちの存在が社会問題となっていました。

日本でホームレスというと年配者が多いイメージですが、モンゴルでは子どもの方が多かったです。保護者のいない子ども、保護者が路上生活者の子どもたちがいました。汚れた小さな子どもたちが、身を寄せ合いながら、小さなお菓子や新聞を売ったり、物乞いをしたりして生きていました。

日本でもいくつかの組織がサポートを行っており、テレビ番組でもたびたび特集されています。


◎「BS1スペシャル『ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡』」60秒

◎モンゴル第3の都市、ダルハン市には、マンホールチルドレンたちにサーカスを指導し、子どもたちを育てている『ションホードイ・サーカス』という団体があります。

ションホードイ・サーカス団については、2018年に訪れた際のレポートを国際サーカス村協会会報に書いています。ぜひ読んでいただけたらと思います。


私が滞在していた2006~2008年にはよく見かけたのですが、その後、国営の児童救済施設が設立され、多くの子供達が保護されたことで、マンホールに暮らしている子供は激減したようで、最近モンゴルを訪れたときには見なかったように思います。

そんな路上生活をしている子どもたちが、テントのそばの茂みの中から、じぃーっとテントを見つめていました。

小さな頭がちょこん、ちょこんと、いくつも並んでいるのが見えるんです。

年齢にしたら、3歳~小学校低学年の子どもたちが、5、6人。

サーカスのチケットは高額ではありません(日本円にして数百円。モンゴル人の感覚からいっても、安い方だったと思います)が、路上生活をしている子どもたちが気軽に払える金額ではなかったでしょう。

「みんなもサーカス、観たいよねぇ…うーむ…」とやりきれない気持ちで眺めていると、ショーが開演してから団長がテントの裏をピラリとめくり、ひょっこり顔を出して、「おいで、おいで。早く!」と子どもたちを手招きしているではありませんか。

子どもたちは一瞬、お互いに顔を見合わせてから、ダダッと茂みから飛び出して招かれるがままにテントの中に姿を消しました。はじめは5、6名かと思っていたのですが、次から次へと出てきて、10名以上いたではありませんか。

団長は全員をテントの中に入れました。「もういない?これで、全員か?」と確認してから、私の方に顔を向けて、目配せしながら舌をチロリと出し、テント内へ顔をひっこめました。

私は、短時間に起きたこの出来事に、胸がジーンとしました。

とともに、たまたまこの場に居合わせたことに、大きな意味を感じたのですよね。

今、これを書いていた思いましたが、あのとき、私が子どもたちのチケット代を払って中に入れてあげればよかった…なぜそうしなかったのか?と。

私は貧乏学生で、日本でバイトで貯めた貯金を切り崩しながら生活していましたが、この子たちのチケット代を買ってあげることはできたはず。。

あのときの子どもたちは、今はもう20代になっているはずです。資本主義社会の中で不自由や不平等、不満を感じることが多いかもしれませんが「サーカス、もちろん見たことがあるよ。子どもの頃にね。いいものだよね」と、心に情景を写し出しながら語ることができるんです。

実は、自分が生まれ育った地にサーカスがあるというのは、子どもが大人になったとき、精神的に大きな支えになるものです。お祭りなんかもそうですよね。

私はこのとき、「サーカスは子どものためのものだ」という意味を、はじめてちゃんと理解した気がします。

これは、私が今も、そして今後も、コントーション、サーカスに関わっていきたいと思う気持ちの原点です。

毎年6月1日になると、このできごとを思い出し、自分の「初心」「原点」を思い出すんです。

コントーションという芸そのものに特に魅力を感じているのももちろんですが、サーカスという生き方、文化、慣習、そして、「サーカスのひとが持つこころ」が好きなんです。

この気持ちをもって、今後の目標に向かって歩むのみです。

よく晴れた空の下、色鮮やかなサーカステントが気分をワクワクさせてくれました。よく見ると、空にひと筋の飛行機雲が。

皆さんがコントーションに励み、続ける理由、サーカスに関わる原点は、どこにありますか?

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