【出張授業】東京外国語大学へ

もーこがモンゴル語専攻の学生の皆さんに、オランノガラルト(モンゴルコントーション)の話や私のモンゴル留学の話、私のモンゴル語学習方法、学内で写真展開催したりサークルを設立した話、どんな留学生活を送り、帰国後~現在はどんなことをしているかなど、話してまいりました。

よく授業を受けていた教室。まさかこちら側に座る日が来るとは!(ちょっと感動しました)
スライドの一部。当時の日記などを読み返しながら、留学にかかった費用を書き出してみました。ちなみに、2006~2008年のことです。
モンゴルに初めて訪れた、高校2年生の秋(2001年9月)。初めて見たオランノガラルト(モンゴルコントーション)や遊牧民のひとびとの強さなど色々なことに衝撃を受けましたよね…。
「はじめてクラス」など一般向けにも使用しているスライド”モンゴル(元)国立民族サーカス”の劇場です。今回はゴル科の学生向けだったから、モンゴル語表記も併記しておけばよかったなぁと後から反省。Монгол Улсын Үндэсний ЦИРК。

途中社会主義時代のオランノガラルトの映像を見せると、「ひとがこんな形になったの、初めて見ました…!」と驚きの声^^

1年生といえば、今年の4月入学。

モンゴルを含めた海外を訪れたくてもなかなか行くことが許されない学年ですね…。

東京外国語大学の学生たちは、短期はもちろん、長期で海外に滞在する者がほとんど。3年生になると、同級生の半数以上が留学のためいなくなったりします。学生だけでなく教員陣も研究のために出かける方が多いです。

そんな学校なので、海外へ行くことがままならないここ数年の東外大での学生ライフというのは、OGからするとちょっと考えられません…。

東外大名物、”外語祭”では、全27言語の専攻語の学生たちが、自身の専攻している国の料理を作って販売する模擬店(1年生担当)や、各専攻後を用いて劇を上演する”語劇”(2年生担当)などを毎年催します。私も、同期たちとボーズやホーショールを作ったり、劇を行ったりしました。伝統的に上の学年の者たちが下の学年に指導をし、縦のつながりで要領を得ていくのですが、この2年は開催しなかったのだそうです。

中止は仕方のないことですが、教員や先輩の皆さんは、今後、伝統をどう受け継いでいくかを懸念しているようです…。

私の代では毎年、学祭のときにモンゴル人留学生の指導でゲルを建てたり、教授のご縁で企業から飲料水をいただいたり(現アサヒ飲料「アミール」は、モンゴル遊牧民の飲料からヒントを得て作られました。名付け親は蓮見治雄先生)していたのですが、どちらも現在までは続いていない様子で…。

卒業してから自分のことで精いっぱい、後輩たちに何の貢献も無しに過ごしてきたことを呪いますね…。

ということで、微力ながら大学への恩返しを一歩、踏み始めた次第です。

フレッシュでホットな1年生の皆さんには、

「オランノガラルトっていうのがあるんだ😲」

「こういうふうにモンゴルと関わっているひともいるんだ😲」

へぇ〜色々あるんだな~と知ってもらえたかと思います。

皆さん、ちゃらんぽらんな私の与太話に真剣に耳を傾けてくださって、恐縮しちゃったのですが、嬉しかったです。ありがとうございました!

来年2月開催「遊牧文化祭」のお知らせをば。私なんかよりずっとモンゴルとガッツリ関わっていてお話しの面白い西村さんのトークが聴けたり、オランノガラルトをリアルで観れたりますよ~。皆さん、また会いましょう^^

ところで…2003年、北海道から出てきてひとり暮らしをしながら毎日を過ごした母校。お恥ずかしながら、学生時代は決してほめられた生徒ではありませんでした…もっと積極的に学べばよかった…(大きく反省中)。

でも、大好きなモンゴルについて学びたくて入った大学。日々モンゴルについて学べる環境はとてもありがたかったです。今振り返っても夢だったんじゃないかと思うようなキャンパスライフでした。柔道部も楽しかった。今更ですが…たくさんの方々に感謝です。

久しぶりの西武是政線「多磨」駅が進化しすぎ!カッコよすぎて周りの風景と合っていないと感じるのは私だけでしょうか。改札に、切符を切る駅員さんたちもいなくなっていてちょっぴりさびしかったです。
敷地内。大学関係者だけでなく近所の方々のお散歩コースだったり、ドラマや歌手のPVの撮影場所に選ばれたりしています。

今年は東洋大学、東京外国語大学と、お呼びいただいてありがとうございます。アカデミックな場での発表の機会は、普段は接点の少ない層の皆さんとの出会いの場。また、違った角度からの視点やご意見、ご感想をいただくことで「そうかーそういうこともあるかー!」と発見につながったりするので、ありがたいです。

授業を終えて、今回お呼びくださった山田先生と少し話して、母校を後に。

スタジオに戻ると、海外公演から帰国し、レッスンを再開したばかりのShun先生、それにいつものEri先生が、自分の練習の後、指導してくださっていました。

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