サーカスを訪ねるラスベガス03《モンゴリアン コントーション大会》レポ1

10月ももう終わりですね。

さて、10月22日、スタジオにて【第1回 MCC 2023 ラスベガス】の報告会を行いました。

Kureha、Kanonのご家族をはじめ、会員の皆さんがキッズ、大人ともに集まってくださいました。

報告会にて報告した内容を、こちらにも掲載しておこうと思います。

「MCCって、どんなだった!?」とご興味のある方は、お読みいただけたらと思います^^/

まだ30度を超える日が続いていた10月8日と9日の2日間-

アメリカはラスベガスで開催された 第1回 ”Mongolian Contortion Convention”(モンゴリアン コントーション コンベンション。以下;MCC)に、生徒2名、KurehaとKanonを連れて参加してまいりました。
※NPO法人国際サーカス村協会の会報(Vol.28 No.01)にも寄稿いたしました。

■背景「MCCって何?なぜ、ラスベガスでモンゴル?」

コントーションは日本では人口も少なく、知らない人も多いのですが、モンゴルでは1940年代以降大変発展し、いまでも現地のことばで「芸術的な曲がり」と呼ばれて大衆に親しまれており、モンゴル人で知る人はいないほど盛んです。

パフォーマーのレベルが高いことで世界的にも有名で、例えば、かつてモンテ・カルロ国際サーカスフェスティバルで金賞を受賞経験があったり、シルク・ドゥ・ソレイユの数あるショウに多くのモンゴル人コントーショニストが出演したりしています。

シルク・ドゥ・ソレイユ “アレグリア” に出演していたモンゴル人の少女。ブルーのベリーショートのウィッグと特徴的なメイクのふたりを、皆さんも見たことがあるかもしれません。
今年で25周年を迎えるというロングラン!シルク・ドゥ・ソレイユ ”O”のモンゴル人コントーショニストによるグループ演技。
シルク・ドゥ・ソレイユ “Kurious”(キュリオス)。2018年に来日公演しました。
シルク・ドゥ・ソレイユ “ovo”(オーヴォ)。2014年、日本公演。蜘蛛に扮したコントーショニスト。
シルク・ドゥ・ソレイユ “Michael Jackson: The Immortal World Tour”(マイケル・ジャクソン ザ・イモータル)。マイケルの日記帳の中に隠れていた、本の虫に扮したモンゴル人コントーショニスト。
シルク・ドゥ・ソレイユ “Zumanity” (ズーマニティ。現在は閉幕)半球体の水槽、ウォーターボールを使った幻想的な演技でした。

などなど枚挙に遑がありません。

ところで、コントーションは紀元前より行われていた記録があります。また、コントーショニスト(コントーションのパフォーマーのこと)は今も世界中にいます。誤って覚えている方もいるかもしれませんが、コントーションの発祥がモンゴルというわけではありません。

ただ、とりわけ独自のスタイルを発展させたモンゴルのそれは、ほかの国々のと区別して「モンゴリアンコントーション」と呼ばれます。(モンゴルのコントーションは、何がほかの国々と違うのか?といえば、まず、ハンドバランスを重要視すること。曲がりのレベルが複数段階あること。2人、3人とグループ演技を行うことなどが挙げられますが、詳しく書いていると長くなりますので今回は割愛いたします)

そんなモンゴリアンコントーション界は、1940年ごろから始まり、1980~90年代に激動の時代を迎えます。モンゴル国の経済が社会主義から資本主義へと移行すると、それまで国家公務員として国から給料を得て生活をしていた国内のサーカス関係者の仕事が一挙に無くなり、生活困難に陥るという一大事になりました。

そこで、すでに国際的な場で知名度を上げていたモンゴルのコントーショニストらは、活路を海外の国々へ求めました。母国を離れ、かのリングリングブラザーズ&ベイリー&バーナムサーカスや、シルク・ドゥ・ソレイユなど欧米のサーカスへ渡りました。

今回のMCCのコーチのひとり、オンドルマーさんもアメリカに渡ったひとり。彼女は鳩と行う演技で一躍有名になりました。
現在のオンドルマーさん。MCCウェブサイトより。

この頃のモンゴルではひとびとの暮らしに今では考えにくい制限がありました。例えば、一般市民が個人的に、自由にパスポートを取得することは大変困難だったといいます。そういった事情を考慮に入れると、この頃のコントーショニストが海外へ渡りコントーショニストとして仕事をすることを選択できるというのは、ひとつの成功の形だったと言って過言ではないでしょう。

実際、この頃のあるコントーショニストの少女は、海外で開催された国際サーカス大会で入賞し、1,000ドルを手に入れました。モンゴル国から専属パフォーマーとして得ていた給料が1か月あたり960円だったというので、そのインパクトの大きさや計り知れません。(ちなみにこのモンゴル人少女のドキュメンタリー番組はNHK制作)

コントーショニストとして成功するということは、自分たちの人生を変える一大事だったのです。決して、今の日本でいうところの「趣味」や「習い事」?健康のための運動?リフレッシュ?はたまた自己実現??そんな生ぬるいものではありませんね。当時のコントーショニストたちが置かれていた環境や状況は、今、この平穏な日本で暮らす私たちにはなかなか想像しにくいことだと思います。皆さん、どれだけ真剣に、必死に取り組んだことでしょう?

さて、少女が持ち帰った賞金により、彼女の保護者はよりよい家に引っ越しました。自分の娘の収入は家族、親戚の生活にとってとても重要だ、というようなことを話していました。家族だけでなく親戚らで集まって食卓を囲む様子が映し出されていました。(日本と比べるとモンゴルでは家族、親戚間の交流が活発です。自宅に家族以外の人間-祖父母、おじ、おば、いとこ、甥、姪、それよりも遠い親戚-がいるのは一般的なことです)

自分と家族、親戚までの生活がかかっているのです。そりゃあ、コントーショニスト本人はもちろん、家族も、親戚も、指導者も、みんなが真剣に考え、取り組んだはずですよね…。まさにコントーション・ドリーム!

さて、そんな時代に欧米に渡り、そのまま生活基盤を置いて暮らしているモンゴル人コントーショニストらがいらっしゃいます。その次世代、また、現役世代が加わり、アメリカにはちょっとしたモンゴル人コントーショニストのコミュニティがあるのです。

今回の第1回MCCは、第1世代が中心となり企画、主催したものです。

主催者のひとり、アンジェリークさん。モンゴルコントーションの礎を築いた、著名なモンゴル人コントーショニストのひとり。
アンジェリークさんはラスベガスを拠点にモンゴルコントーションの指導や普及に務めており、著作も執筆。
MCC初日、ワークショップ会場にて。左からアンジェリークさん、Kanon、Kureha。
MCC2日目、ショウにてアンジェリークさんが観客たちの前でズゥブニクを披露しました!65歳でいらっしゃいます。素晴らしいお身体と能力です。このときの空気、緊張感といったら!固唾を飲み見守る観客たちの前で、信じられない姿勢になるアンジェリークさん…無事に技を終えておじぎをする彼女に、割れんばかりの歓声とスタンディングオベーション!鳥肌が立ちました。
アンジェリークさんのご著書のひとつ、”SUPPLE”。モンゴルコントーションのトレーニング方法について、写真とともに解説がまとめてあります。

長くなってきましたので、今回はこの辺で…。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

次は、ゴーカ指導者陣によるワークショップ開始!

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